「角型灯器」の版間の差分

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'''角型灯器'''(かくがたとうき)とは、昭和50年代前半まで製造されていた四角い形状の信号機の俗称である。
'''角型灯器'''(かくがたとうき)とは、昭和50年代前半まで製造されていた四角い形状の信号機の俗称である。


[[ファイル:角型灯器.jpg|代替文=角型灯器|サムネイル|羽東一丁目交差点に設置されていた角型灯器]]
{{Infobox signal|灯器の名称=角型灯器|画像=[[ファイル:角型灯器.jpg|300px]]|画像の説明=羽東一丁目交差点に設置されていた角型灯器|製造期間=昭和6年?〜昭和50年代前半|採用地域=全国|残存数=静岡県などにごく少数|メーカー=日本信号、京三製作所、小糸工業(小糸製作所)など|仕様書=警交仕規|仕様書番号=[[警交仕規第9号|第9号]]、[[警交仕規第23号|第23号]]|レンズ=三角パターンレンズ、格子レンズ、網目レンズなど|アーム=(角型)円弧アーム、(角型)通常アーム}}


== 概要 ==
== 概要 ==
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'''<big>第2世代 (昭和20年代後半?〜昭和39年?)</big>'''
'''<big>第2世代 (昭和20年代後半?〜昭和39年?)</big>'''


片面横型250mm3位灯の形式がED536<ref group="注釈">岡山で路面電車用として使われていたと思われるものがリユース業者に買い取られ、オークションに出品されていたことがある。[https://support-reuse.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BF%A1%E5%8F%B7%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E3%81%AE%E6%98%AD%E5%92%8C39%E5%B9%B4%E8%A3%BD%E3%81%AE%E4%BA%A4%E9%80%9A%E4%BF%A1%E5%8F%B7%E7%81%AFed536%E3%82%92%E8%B2%B7/ 日本信号株式会社の昭和39年製の交通信号灯ED536を買取しました!]</ref>の世代。ガラス製の濃色レンズが採用されていた。縦型4位灯や縦型5位灯も存在した。昭和36年頃までに蓋固定金具が大きいタイプに変更、昭和38年頃までに蓋が台形(平面が広いタイプ)のものに変更、昭和39年頃までに蓋固定金具が三角形のタイプに変更されている。
片面横型250mm3位灯の形式がED536<ref group="注釈">岡山で路面電車用として使われていたと思われるものがリユース業者に買い取られ、オークションに出品されていたことがある。[https://support-reuse.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BF%A1%E5%8F%B7%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E3%81%AE%E6%98%AD%E5%92%8C39%E5%B9%B4%E8%A3%BD%E3%81%AE%E4%BA%A4%E9%80%9A%E4%BF%A1%E5%8F%B7%E7%81%AFed536%E3%82%92%E8%B2%B7/ 日本信号株式会社の昭和39年製の交通信号灯ED536を買取しました!]</ref>の世代。ガラス製の[[濃色レンズ]]が採用されていた。昭和36年頃までに蓋固定金具が大きいタイプに変更、昭和38年頃までに蓋が台形(平面が広いタイプ)のものに変更、昭和39年頃までに蓋固定金具が三角形のタイプに変更されている。


'''<big>第3世代 (昭和40年?〜昭和47年)</big>'''
'''<big>第3世代 (昭和40年?〜昭和47年)</big>'''
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== 小糸製 ==
== 小糸製 ==
{{デフォルトソート:かくかたとうき}}
{{デフォルトソート:かくかたとうき}}
遅くとも昭和30年代後半には交通信号機を製造していた。大きく分けると昭和43年頃までの初期筐体と、それ以降の後期筐体に分類できる。初期筐体のものは愛知県の「卯坂」交差点にあったものが有名。後期筐体が登場した直後に銘板の社名が「株式会社小糸製作所」から「[[小糸工業|小糸工業株式会社]]」に変更されている。3社の中で唯一[[矢形矢印]]を採用していない。昭和44年頃までは「[[全周庇]]」と呼ばれる庇が取り付けられていた。また、[[包丁]]と同じく、昭和50年頃に[[三角パターンレンズ]]から[[格子レンズ]]に変更されたが、当時積極的に角型を採用していた東京以外ではあまり見られなかった([[予告灯]]などを除く)
遅くとも昭和30年代後半には交通信号機を製造していた。大きく分けると昭和43年頃までの初期筐体と、それ以降の後期筐体に分類できる。初期筐体のものは愛知県の「卯坂」交差点にあったものが有名。後期筐体が登場した直後に銘板の社名が「株式会社小糸製作所」から「[[小糸工業|小糸工業株式会社]]」に変更されている。3社の中で唯一[[矢形矢印]]を採用していない。昭和44年頃までは「[[全周庇]]」と呼ばれる庇が取り付けられていた。また、[[包丁]]と同じく、昭和50年頃に[[三角パターンレンズ]]から[[格子レンズ]]に変更されたが、当時積極的に角型を採用していた東京以外ではあまり見られなかった([[予告灯]]などを除く)。世代によって銘板の位置が異なり、昭和47年までは蓋の下方、昭和47年〜昭和48年頃は上方、昭和49年頃以降は中央に取り付けられている。
 
予告灯として設置されている筐体(三位灯ではない)としては昭和末期~平成初期頃までも設置があり、このころの筐体はより厚みが増して完全な直方体のようになっている。時期としてはブツブツレンズの採用が始まっているため、採用している都道府県ではブツブツレンズをはめた角型灯器が設置されていた。


== 注釈 ==
== 注釈 ==
<references group="注釈" />
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== 参考文献 ==
[[カテゴリ:灯器]]
[[カテゴリ:灯器]]