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UFO型信号機

提供:信号機Wiki
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UFO型信号機(UFOがたしんごうき)とは、昭和50年代前半から昭和60年代末期まで製造されていた名の通りUFOのような形状の信号機の俗称である。

UFO型信号機
中本5丁目(大阪府)に設置されているUFO型信号機(名古屋電気工業製)
製造期間 昭和51年~昭和63年頃
採用地域 宮城県、群馬県、広島県、大阪府など
残存数 広島県、大阪府に一基ずつ(2025年4月現在)
メーカー 名古屋電気工業、小糸工業、日本信号、京三製作所
警交仕規 第23号 (後期型の小糸筐体のみ)
レンズ 三協網目レンズ、スタンレー網目レンズ、小糸初期濃色格子レンズ、小糸格子レンズ
アーム 懸垂アーム、ブリッジ型アーム
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概要

UFO型信号機は名古屋電気工業が開発した灯器で、後に続く形で大手三社(小糸工業日本信号京三製作所)が製造した。名古屋電気工業は昭和50年に、欧州のワイヤー吊り下げ式信号を参考に「懸垂型交通信号機」を開発し、名古屋市の新栄小学校前の交差点にテストケースとして設置後、同年9月に大須の赤門交差点に最初の本設置を行った[1]。懸垂型交通信号機や細街路用交通信号灯器とも呼ばれる。なお、ここでは個別の信号機をUFO型信号機のように集約設置したものはUFO型信号機としないとする。

開発背景

昭和50年の年間交通事故死亡者数は一万人を超えており、多くの尊い命が奪われていた。特に愛知県では年間ワーストに名を連ねており、規制はパトロールなどは行っていたものの、なお課題はあった。その一つが細街路である。古くからの都市では建物が密集し、細かな街路は見通しが効きづらい。愛知県にも多くの細街路の交差点が存在し、出合頭の事故が多発していた。通常の道路では特に危険な交差点ではミラーや信号機が設置され、より安全な交通環境へと整備される。しかし細街路では、排水溝やガス、電気、水道管などの埋設物が地中に張り巡らされ、信号機を設置しようにも柱を立てる場所がない場合もあった。そこで愛知県警内では、道路交通法で細かく定められている信号機の規定に適合し、かつ細街路に展開できる新型信号機の要求仕様と構想がまとめられた。そこで開発されたのが柱一本で設置できる懸垂型交通信号灯器と細街路用交通信号灯器。どちらも筐体の四面に信号機が配置され、懸垂型交通信号機にはさらに歩行者用信号機も配置されている。その後大須の赤門交差点に最初の本設置を行い、平成22年に役目を終えるまで設置され続けた[2]

名古屋電気工業製

名古屋電気工業は前述したとおり、UFO型信号機を全国で初めて開発した企業である。レンズは三協製のレンズを使用していると思われる。

初代 [歩車集約] (昭和50年~昭和51年)

大須の赤門交差点に設置された灯器。庇が深いのが特徴。赤門交差点に設置されたものはスピーカーも内蔵されていた。正式名称は「懸垂型交通信号灯器」。

初代 [車灯集約] (昭和50年~昭和51年)

車灯のみ集約した仕様。同じく庇が深い。正式名称は「細街路用交通信号灯器」。

二代目 [歩車集約](昭和51年~昭和55年?)

二代目の歩車集約灯器。庇は浅くなり、若干宇宙人灯器の庇に似ている。宮城県に多く設置された。正式名称は「懸垂型交通信号灯器」。

二代目 [車灯集約](昭和51年~昭和55年?)

車灯のみ集約した仕様。名称は昭和51年頃までは「細街路用交通信号灯器」、昭和52年頃から歩車集約灯器と同じ名称である「懸垂型交通信号灯器」を使うようになった。群馬県や大阪府にいくつか設置された。

最終型 [歩車集約](昭和57年~昭和63年?)

宮城県限定モデルの最終型。蓋留めのねじが蝶ねじに変更された。

参考文献

  1. 名古屋電気工業、株式会社. "当社開発の「懸垂型交通信号機」撤去に関する報道に寄せて" https://www.nagoya-denki.co.jp/news/2024/07/211227/
  2. 名古屋電気工業「挑戦の60年史 It's NEW 1958 - 2018」