「おにぎり歩灯」の版間の差分

羽井出 (トーク | 投稿記録)
カテゴリを設定
編集の要約なし
1行目: 1行目:
[[ファイル:初代おにぎり.JPG|代替文=おにぎり|サムネイル|初代おにぎり]]
[[ファイル:初代おにぎり.JPG|代替文=おにぎり|サムネイル|初代おにぎり]]
'''おにぎり歩灯'''(おにぎりほとう)とは、[[小糸工業|小糸工業株式会社]]が製造していた歩行者用信号[[信号灯器|灯器]]の総称。昭和40年代から平成20年代まで、50年弱製造され続けてきたロングセラーである。
'''おにぎり歩灯'''(おにぎりほとう)とは、[[小糸工業|小糸工業株式会社]]が製造していた歩行者用信号[[信号灯器|灯器]]の総称。昭和40年代から平成20年代まで、50年弱製造され続けてきたロングセラーである。細かく分けると50種類以上ある最多種信号灯器である。である。


== 概要 ==
== 概要 ==
7行目: 7行目:
遅くとも昭和42(1967)年には設置がされている。昭和42(1967)年度までは「株式会社小糸製作所」の銘板となっていたが、同年交通信号灯器事業を小糸工業株式会社に移管した<ref name=":0">[https://www.koito.co.jp/corp/history/reconstruction-period.html KOITOの歩み(沿革)] | 2025/01/05 Ref.</ref>ため、昭和43(1968)年以降は「小糸工業株式会社」となっている。なお、平成23(2011)年度に再度移管が行われ交通信号灯器事業は「コイト電工株式会社」になっているが<ref name=":0" />、現在確認されているおにぎりにおいて「コイト電工」銘板のものは見受けられない。
遅くとも昭和42(1967)年には設置がされている。昭和42(1967)年度までは「株式会社小糸製作所」の銘板となっていたが、同年交通信号灯器事業を小糸工業株式会社に移管した<ref name=":0">[https://www.koito.co.jp/corp/history/reconstruction-period.html KOITOの歩み(沿革)] | 2025/01/05 Ref.</ref>ため、昭和43(1968)年以降は「小糸工業株式会社」となっている。なお、平成23(2011)年度に再度移管が行われ交通信号灯器事業は「コイト電工株式会社」になっているが<ref name=":0" />、現在確認されているおにぎりにおいて「コイト電工」銘板のものは見受けられない。


東京都に昭和41(1966)年頃まで設置されていたとみられるティッシュ箱のような筐体のものも広義のおにぎり歩灯であると思われる。
東京都や長野県、愛知県に昭和41(1966)年頃まで設置されていたとみられるティッシュ箱のような筐体のものも広義のおにぎり歩灯であると思われる。


== 分類 ==
== 分類 ==


=== 初代 ===
=== 初代 ===
ガラス製のレンズを使用している。人形が白く浮き出ており、表面がザラザラしているのが特徴。昭和42(1967)年~昭和53(1978)年頃まで製造された。2025年1月5日現在で既に設置から50年程度が経っているため、現存数は極めて少ない。
内部のカラーレンズはプラスチック、表面の透明レンズはガラス製を使用している。人形が白く浮き出ており、表面がザラザラしているのが特徴。昭和42(1967)年~昭和53(1978)年頃まで製造された。2025年1月5日現在で既に設置から50年程度が経っているため、現存数は極めて少ない。また、信号灯器では初のアルミ材を用いた(フードは鉄であった)。


昭和48(1973)年半ばまでは「交通信号灯器」銘板として、形式「KSV-2E」が製造されていた。以降は「歩行者用交通信号灯器」銘板となり、形式も変化している。前者のうち、昭和46(1971)年度以前は銘板がねじ止めになっており、以降は接着されている。また、和暦と西暦が混在する。
昭和48(1973)年半ばまでは「交通信号灯器」銘板として、形式「KSV-2E」が製造されていた。以降は「歩行者用交通信号灯器」銘板となり、形式も変化している。前者のうち、昭和46(1971)年度以前は銘板がねじ止めになっており、以降は接着されている。また、和暦と西暦が混在する。
22行目: 22行目:


=== 第二世代(網目レンズ) ===
=== 第二世代(網目レンズ) ===
過渡期の節でも触れた、二重網目レンズを採用した後期筐体を指す。昭和53(1978)年~昭和59(1984)年頃まで製造された。
過渡期の節でも触れた、二重網目レンズを採用した後期筐体を指す。レンズの人型は白色の樹脂を埋め込んでいるものとなっている。昭和53(1978)年~昭和59(1984)年頃まで製造された。フードもアルミ材となり、錆びにくくなった。


庇が角張り、警交仕規第30号に準拠した「[[警交仕規第30号|金属製歩行者用交通信号灯器]]」銘板となっている。昭和53(1978)年11月~昭和55(1980)年半ばまでは製造番号が「XX_Y」(X,Yには任意の数字)のような形であることが多く、昭和55(1980)年半ば~昭和57(1982)年頃まで製造番号が数字4桁となり、以降は数字6桁となっている。
庇が角張り、警交仕規第30号に準拠した「[[警交仕規第30号|金属製歩行者用交通信号灯器]]」銘板となっている。昭和53(1978)年11月~昭和55(1980)年半ばまでは製造番号が「XX_Y」(X,Yには任意の数字)のような形であることが多く、昭和55(1980)年半ば~昭和57(1982)年頃まで製造番号が数字4桁となり、以降は数字6桁となっている。


=== 第三世代 ===
=== 第三世代 ===
筐体は第二世代と同一ながら、昭和58(1983)年頃より人形部分が透明になった後代のレンズを実装したものが設置されるようになった。このレンズはロングセラーとなり、平成22(2010)年頃まで設置され続けた。
筐体は第二世代と同一ながら、昭和58(1983)年頃より人形部分がくり抜かれた後代のレンズを実装したものが設置されるようになった。このレンズはロングセラーとなり、平成22(2010)年頃まで設置され続けた。


=== 第四世代 ===
=== 第四世代 ===